弘法大師空海 弘法大師と蝦夷・・・仏教は人間の平等など説いてはいない。・・・

 野山真言宗によると、「真言宗の根本の教えは、大日如来の智恵に目覚めるために、次のことを求めます。」として、「一、菩提(ぼだい)の心を発し、仏の誓願を堅く信じ、二、すべてのものの本性(ほんしょう)が清浄(しょうじょう)な心であることを、ありのままに知ること。三、この世のすべてのものを愛する心と、真実を求める心を堅く持って、四、行いと言葉と心のすべての働きを通じて、真理を悟り、実践する仏の智恵に気づくこと。だそうである。

 
かし開祖弘法大師空海には、上記の「この世の全てのもの」の中に入らないこの世のものがあったのである。一体それは何か。

 
海は、弘仁年間(810〜24)に書いた文書「高雄の山寺に三綱を択び任ずる書」(『性霊集』)の中で、インドや他のヒンドゥー文化圏諸国において四姓制度の枠外におかれたアウトカーストであるチャンダーラ(旃陀羅)を「悪人」「仏法と国家の大賊」であるとし、このような「大賊」は、死後は無間地獄に入り、諸仏も菩薩も救護できないと言っている。さらに、空海は、蝦夷を「羅刹の流(たぐ)いにして非人の儔(ともがら)なり」(人を食う鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。)とか「人面獣心」と罵っているのである。つまり、空海にとって、旃陀羅や蝦夷は人間ではなく、仏の救済対象などでは絶対にあり得なかったのである。

 
在の高野山真言宗の言う「真言宗の教義」のうち、上記の二と三とは、弘法大師の本来の教義とはかけ離れている。いわば現代流の教義である。筆者は、仏教のうち少なくともヒンドゥー教の一派といってもよいくらいバラモン・ヒンドゥー教の強い影響を受けた密教には「全ての人間が仏の前においては平等」であるなどと言うような思想は絶対になかったと思ているし、他の仏教諸宗諸派も殆どが似たりよったりであると思っている。

 
かに釈尊は「四姓の平等」を説き、原始教団においては仏と真理の前では人間のみならず動物に至るまで平等に扱われたのかも知れない。しかし、その後インドにおいて信じられた「釈尊の教え」にはそんなものはなかったし、中国を経て日本に伝わった仏教の殆どにそのような考えはなかったと思う。則ち時代を超え国を越えて伝えられる力を持った考えではなかったのである。日本人が受け入れた仏教は決して釈尊の説いた教えなどではなく、釈迦の滅後、カースト制度が万能且つ正義にかなったものと確信されていたインドにおいて、しばらくの間信仰され得た仏教であり、中国に伝えられる事ができた仏教なのである。



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