第1102回 地獄と極楽 〜小学生・心のとびらを開く〜
平成26年 3月6日〜
文明が発達し、便利すぎる社会がやってきました。
これで私たちは幸せになれると思っていましたが、
どうもそうでもないらしいです。
歩きながら携帯電話をかけたり、ヘッドホンステレオを聞いている人、
電車の中ではものを食べたり、お化粧したりするなどマナーの悪い人が
増えてきました。
つまり、自分のことしか考えない、いわゆる「自己チュー」の文明社会に
なってしまったのです。
私は昔、祖母から「地獄と極楽」という話を聞きました。
ある人が地獄に案内されて行くと、そこには大きなテーブルがあり、
その上にはおいしそうなごちそうがいっぱい載っていました。
しかし、そのテーブルに向かっている人を見ると、どの人も
骨と皮ばかりにやせ細って、目ばかりギラギラさせています。
こんなにごちそうがあるのになぜだろうとよく見ると、
体が椅子にしばりつけられていて、その手には長いはしを持っていました。
その長いはしで食べようとしますが、長すぎてうまく口に入らないのです。
食べようとあせればあせるほど思うようにならないので、
ますます恐ろしい形相をして、お互いにらみ合っているありさまでした。
次に極楽に案内されて行くと、全く同じようなテーブルがあって、
ごちそうがいっぱい載っています。
そのまわりに座っている人の体は椅子にしばりつけられていて、
その手には長いはしを持っていました。
状況は全く同じなのですが、そこに座っている人たちを見ると
みんな豊かに太っていて、見るからに楽しそうな、幸せそうな
様子なのです。
どういうわけだろうとよく見ると、そこの人たちは長いはしで
ごちそうをはさんでは、向かい側の人に「はい、どうぞ」と
差し出しているのです。
すると向かい側の人は「おいしい、おいしい」と食べては、
今度は反対に、長いはしでごちそうをはさんで「はい、どうぞ」と
向かいの人に差し出すものですから、お互いに、
「すみませんね、ありがとう、ありがとう」と言って、本当に
幸せそうな顔をしているというわけです。
地獄と極楽との違いは、自分が社会の中で他の人とかかわって
生きている存在であるということに気づいているか、いないかなのです。
「おかげさま」の心を大切にし、自分のことだけでなく、お互い
協力し合うことの大切さを知ってほしいと思います。
どんなに文化が発達し、便利な世の中になってもけっして
忘れてはならないことなのです。
(『小学校 心のとびらを開く月曜講話』青木靖著/学事出版より
南無阿弥陀仏で お浄土に生まれる 今 仏の仲間と教えていただいています。
お互いに、「すみませんね、ありがとう、ありがとう」と言う毎日を
過ごさせていただきたいものです。
妙念寺電話サービス 次回は 3月 13日に新しい内容に変わります。