一寸聞くと「なるほど」、よく考えると「おかしな」話

その1
「専門家の判断」
 常識的な勧善懲悪の意識からかけ離れた裁判が珍しくない今日この頃であるが、素人がどこかの地方裁判所の判決を批判していると、「法律の専門家である裁判官が専門的な知識に基づいてした裁判に対して、おまえのような法律の素人が何を言うか。」とかいうヤツがいる。一見それらしいとも思える意見であるが、それならソイツに言ってやりたい、「それなら、お前のような素人は、政治の専門家である政治家や、行政の専門家である官僚の批判をするなよ。」と。「まして、医学・医療の専門家である医師の批判などした日にはただではおかないぞ。この屁理屈野郎!」

その2
「経験した歌」
 若い者が軍歌を歌っていたりすると、「お前、自分が経験したこともないのにそんな歌唱うな。」とかいうヤツがおる。一見もっともらしい意見であるが、それならソイツに言ってやりたい、「それなら、お前は自分の経験したことを歌った歌しか唄はないんだな。酒場の女唄や、船乗りの唄や、ヨイトマケの唄や、カスバの女の唄や、相撲取りの唄や、外国の歌なんか歌った日にはただじゃおかないぞ。この屁理屈野郎!」

その3
「行政は性善説」
 行政施策の不備や手落ち、抜け穴だらけの法律などを批判すると、「そもそもぎょうせいというものは、『せいぜんせつ』にもとづいておこなうものであって・・・」等といかにも物知り顔に宣うお方がおられる、ずいぶんと有り難くも気高いご意見であるが、それならそのお方に申し上げたい、へー、行政とか、法律は、未だに決着を見ていないような『性善説』とか『性悪説』とかいう『仮説』に基づいて行うようないい加減なものなのでございましょうか。それに、そもそも『性善説』も『性悪説』も、人間の元来の性質が『善』なのか『悪』なのかと言う議論であって、別に人間が『善いことばかりやる』か『悪いことばかりやる』か、を議論してる訳ではないでしょう。だから、『人を殺したものは・・・懲役・・年』とか言う法律もある訳でしょ。お役人様。

その4
「怒りの感情を抱くものは人格が低い」
 不当な扱いや、間違った行動、邪な性格、卑劣な手口、嘘八百の宣伝などに対して怒っていると、「怒りの感情を出すヤツは知能が低い」とか「前後の事情に関わらず怒ったヤツが悪い」とか、わかったようなことを言うヤツがいる。悪意に満ちた言い掛かりや、挑発、理屈も何もないレッテル貼りなどに対して抗議をしたり、詭弁を弄び、強弁を重ねてくるヤツに対してその不当性を憤っていると、「議論に負けたから感情的になっている」「怒る人たちは粗暴で下品な人格低劣な人間だ」などとぬかす阿呆がいる。○○党員やらその手先にそんなヤツが多い。連中にいいたいものだ、「あんた達は、不正不当な行為に対し怒りの感情が湧かなんだね。不義や不正、騙しや奸計、さらには盗人や人殺し、戦争や虐殺に対しても怒らないんだね。あんた達は、全く正義感のかけらも存在しない冷淡極まりない連中だね。」
 どっかの○○党の教師が言うように「何ががあっても、常に冷静で怒りの感情を持たない人が立派な人だ」等という虚言にだまされてはいけない。いじめられても、いじめを見ても怒りも何も感じない人間が冷静・温厚で上品な人格者で、そのような不正行為に対して怒りを感じるものを単純且つ粗暴で人格低劣な人間であるかの如くしたり顔でぬかすヤツがいる。連中によれば、いじめに対し拳をふり上げれば、いじめの方はそっちのけにして「暴力はいけません」となり、外国から侵略されても、戦うどころか、怒りも抱かず抵抗もしないことが高潔な振る舞いであることになっている。馬鹿も休み休み言うが良い。不正不当に対し腹の底から怒り、そして、それらに堂々と抗議し戦う心性の持ち主こそ正義の人なのである。



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