エリートは人格低劣であるという偏見

 
「戦略、作戦を考えるのは、陸大海大を首席で卒業して参謀となった、エリート中のエリート軍人たちで、彼らは兵の苦しみや国民の苦しみを察することなく、手に入れた権力の座にあぐらをかいて、兵卒や国民を顎で使って、当然と考えている。
それはいわば、賢い悪魔たちで、彼らの立てる作戦は、ここで一万の兵を囮として、背後から攻撃しようと考えるが、犠牲となって戦死していく一万の兵卒の無念と苦しみをまるで考えない。」(邦光史郎「幻の大日本帝国」詳伝社)


 上の文章を読んである者はこう考えた、「やっぱり、勉強ばかりしてきたエリートは人格的に劣っている。」「勉強の出来ない人の方が、弱者の気持ちが分かるのだ」と。
 果たしてそうなのであろうか。確かにエリート軍人と呼ばれるものの中にインパール作戦で同胞を犬死にに追い込んだ牟田口などという人非人がいたのは確かである。しかし、それではアメリカやイギリスの軍指導者はどうなるのか。マッカーサー元帥がウエストポイント陸軍士官学校時代に残した成績の記録は未だに破られてはいないはずだ。このように、米英の軍幹部は揃って頭脳明晰にして成績抜群のエリート揃いである。にもかかわらず、部下を特攻で殺しておきながら己は敵前逃亡しまくった富永や、同胞の命を「物」以下にしか扱わなかった牟田口のような人非人がいたなどと聞いたことがない。よってエリートは全て人格的に劣っている等ということは絶対にない。もちろん、以上の例を見ただけでは優れているということも言えないが。
 さて、米英などが認定した戦犯にはA級、B級、C級等の別がある。知らないものが聞けばC級よりA級の方がランクが上だから、きっとC級戦犯に比べてA級戦犯の方が残虐な行為をしたのであろうと思いがちであるがそうではない。A級は戦争指導者であって、現場において上官から命令を受けた訳でもないのに残虐行為を行った物はC級戦犯の方である。これを見ても決して勉強が出来たエリートに限って人格低劣であるのどとは言えないではないか。

 筆者は嘗ての軍指導者が無責任で兵を虫けら同然に扱ったのは、彼らが「勉強」エリートであったからでは決してないと思う。それどころか、むしろその逆であったからであるとさえ思う。それはなぜか。彼らは、自分より立場の弱い人間を自分と同じ価値がある一個の人格であるとは考えていなかった。彼らは、制度としての世襲制を排除し形式的に平等な競争を通じて作り上げた新たな封建的身分制度の信奉者であったのである。よって自分より身分の低い兵隊どもなどゴミ以下だと考えていたのであろう。そのような考えを金科玉条として信奉し、「勉強」における競争を勝ち抜いてきたのである。ここで混同してはならないのは、彼らの金科玉条と数学や英語などの「勉強」を行うことそのものとは全く無関係であることである。マッカーサー元帥の例を考えてみれば直に納得出来るであろう。さらにもう少しつっこんで考えてみる。「勉強」の中でも数学や理科は、とりわけ論理的思考あるいは合理的思考を重んじる。よってこれらの学問に熟達すればするほど近代国家に封建的な身分制などナンセンスである気づくはずである。しかし、彼らは全くといってよいほど気づいていなかったのであるから、むしろ科学的思考力、数学的思考力は悪かったのではないかと思う。それが証拠に、航空機や艦船などの武器に対する考え方や戦略においても圧倒的に米軍の方が上であったではないか。極論すれば当時の日本における学校教育自身が誤っていた、とりわけ「勉強」エリートの選抜方法に問題があったのではないかと思われるのである。即ちエリートを選んだことではなくエリートを選びそこねたことこそ日本の悲劇の一因であったと思うのである。



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