貧乏医者 医者は本当によい商売か?

結論
 今、医者になりたいと思ってがんばっている君。もし君が「自分の能力は大したことはない」と考えているならそのまま努力しましょう。反対に、「自分は高い能力を持っている」と考えており、また他者からもそのように認められているとしたら絶対やめた方がよいでしょう。
 
医者など、有能な若者が目指すような職ではありません。優れた頭脳を必要としている分野は他にたくさん存在します。あたら優れた才能を社会の片隅で埋めてしまってはいけません。世間にはホントらしい嘘がたくさん存在していますが、「医者が楽で儲かる商売である」等という妄言はその最たるものでしょう。医者を目指している諸君、特に今から医学部・医科大学を目指して日々勉学にいそしんでいる諸君は、まず医者の本当の姿、現実の姿を知らねばなりません。

理由
1.額面で給料が下がっている医者

  「折しも世間は不況の真っ只中。その中でリストラの心配もなく安閑として高給を貪っている医者がうらやましい。」等という人がいます。本当にそうなのでしょうか。
 日本が高度成長の真っ最中の昭和30年代後半から40年代にかけて医療は他の産業の成長と同じように急激に成長を遂げ、健康保険の財政も健全そのもの、保健診療に制限をかけるものはなにもありませんでした。そのような状況下では、大した経済センスもなく経営努力もしない人でも病院や診療所(世間では医院と呼ばれている)を楽々経営する事が出来ました。それどころか何億の借金をわずか数年で返済し、その後はただただ儲かるばかりという事例もあったといわれています。まさに医者の黄金時代、医者天国の様相を呈していました。日本有数の圧力団体である日本医師会の力は極限まで増大し「けんか太郎」といわれた武見会長が絶大な権勢を誇っていました。ところが、二度にわたるいわゆる「オイルショック」によって日本の経済成長に急ブレーキが掛かったときから状況は一変しました。健康保険の財政は悪化し、医療機関の収入も目に見えて減ってきました。それでも50年代前半まではそれほど目立った現象は出てきませんでした。しかし、昭和50年代も後半になると医療機関の収益悪化と膨大な累積赤字が目立つようになり、昭和60年代ともなると全国に病院の倒産が頻発するようになりました。また、田中内閣時代から「一県一医大」の設置が進められ医師の数が毎年毎年着実に増えてきました。当然はじめから将来医師が過剰になるであろう事は予想されていました。正確に言うならば、医師過剰の状態をつくりだすために新設医大の建設がすすめられたのです。強すぎる医師会の力を減弱させる有効確実な手段は医師過剰による医師の地位の低下であると考えられたのです。その考えは的確なものでした。度重なるオイルショックでも世間のほとんどの勤労者の収入はわずかながらも増えていきました。しかし医者は、貨幣価値の下落による実質的所得減ではなく、何と額面で給料が減っていったのです。 

2.医者は大学を出ても月給がもらえない?
 医学部を目指している諸君なら他の学部とは違って医学部の修業年限が6年間であることを知っていることでしょう。「他の人の1.5倍も大学で勉強したのだから、さぞかし卒業のあかつきには良いポストにつけるだろう」などと思ってはいけません。自治医科大学をのぞく国公私立の医学部卒業生のほとんどは、卒業してすぐに常勤の医者にはなれません。いま流行の大学院生になるか、日雇いの公務員である「医員(研修医)」になるかです。自治医大以外の私立の場合は「無給医局員」になるようです。とにかく大学病院の医師のうち月給をもらえる医師は、教授、助教授等ごくごく一部にすぎません。その他の多くの医師は、「大学院生」「研究生」など授業料をおさめた上に「研究・研修」の名目で大学病院の医師として働いているものと「日雇いの医者」の二通りなのです。これらの人たちは病気一つできません。病気やけがで寝込んだら最後、その日から収入がなくなります。家族でもいようものならもう終わりです。
 さて、これらの医者は、普通それぞれが所属する医局の定めた医局費を支払います。これは研究費や運営費にあてられます。大学病院の診療の中には保険のきかない高度の医療も含まれますが、その費用は研究のために使われたものとして医局の研究費から支払われているのです。研究費は文部省が出しているのでは?と思われることと思います。それだけでは到底まかないきれないのが実状です。
 国家試験に合格したばかりの医者は大学病院でしばらく研修を積むと、(大学ではなく)
医局の「関連病院」に出向します。そこで第一線の臨床を学ぶわけです。大きな国立病院などの「研修指定病院」に出向したものならもう大変です。薄給と過酷な労働そして看護婦さんなどのコ・メディカルの人たちの厳しい視線が待っています。労働組合の強力なところでは、いっそう厳しい環境が待っています。涙ぐましくも過酷な数年の研修の後、晴れて医局に帰ります。
 臨床医学の多くの教室では、研修終了後に大学院への入学を許すようですが、これが大学卒業から2年をすぎていると将来公務員の医師になったときに何のメリットも生じません。これに比べて、多くの基礎医学教室のように大卒後すぐ大学院に入学し4年で終了すれば給料が2号上がります。
 院生にならなかったその他の医者は、相変わらずの日雇い医者である「医員」か研究生という院生に比べて身分の不安定な学生になります。そして過酷な労働がまっています。いくら夜中まで仕事をしても、残業手当などは当然ありません。主治医ですから、患者に対して責任を負っています。他のスタッフのように「5時が来たので帰ります」とはいかないのは当然です。伝統ある国立大学などでは、よっぽど優秀か教授に気に入られるか「コネ」のあるもの以外は助手にさえなれません。生活を支えるために「バイト」に行かざるを得ません。世間の人は、公務員でさんざん月給をもらいながらアルバイトまでして「セコク」稼いでいるくらいに思っておられるようですが、事実は全く異なっています。

3.コネのない他大学出身の医局員は「ゴミ」あつかいの外人部隊
 たいていの医者は大学で診療に従事するかたわら、教授から与えられたテーマについて研究を行います。運良くオリジナリティーのある論文をものにすれば、めでたく博士の学位を取得できますが。テーマがあまりに「遠大」なものだったりすると骨折り損のくたびれもうけになります。それでも帰局でき研究テーマがもらえるだけよいのかもしれません。多くの医局員を抱える大教室では研修に出向したままで医局に帰れないものが多いからです。多くの場合それらの医者たちは他大学出身でおまけに「コネ」のないあわれな外人部隊であることがおおいのです。

4.卒後10年でやっと一人前だが・・・
 卒業して10年くらいでようやく一人前の医者として認められるようになった頃にはもう30の半ばです。それでも以前なら30そこそこで公立病院の院長や部長クラスになれました。しかし、今は50歳をすぎても当直だらけの平の医者であることが多くなってきています。おまけに開業すらままなりません。医療関連の雑誌の広告に、地域の医師会が「医師過剰なので新たな開業はしないでほしい」旨の広告を出しているのをよく見かけます。だいいち銀行がなかなか金を貸してくれません。開業しても常に経営努力をしないと患者がすぐ離れていってしまいます。今は大病院志向が強いので在宅診療や夜間休日診療などあの手この手で「客」を集めてこなければ、夜逃げしなければならなくなります。おまけに、つねに医療訴訟の悪夢につきまとわれているのです。司法関係者のほとんどが「医者は悪者」とでも思っているのでしょうか、医療訴訟が提起されれば99%医者の負けだと思って間違いありません。以前、台湾からの医師が医師不足の日本にやってきました。その理由は、台湾では医療訴訟に負ければそれまでの努力が水の泡になってしまうからだというものでした。ともあれ今も日本中で病院が大きな赤字を抱えて倒産しています。

5.おどろくほど低い「お上」から見た医者の地位
 明治の昔から日本一難度の高い大学は「東京大学」、その中でも難関中の難関は「医学部」です。しかし、卒業すれば圧倒的に文化系、特に「法学部」出身者が「権力者」になります。医者は、マネージメントされる側になってしまいます。ドイツ流の「法科万能」主義の官僚体制の下では、医者の地位は極端に低いのです。地方国立大学の医学部長が文部省に行って二十歳そこそこの官僚にペコペコして鼻であしらわれる姿は情けないの一語につきるものです。

6.どうせ行くなら自治医科大学
 自治医科大学は、多くの人々から歴史的役目を終えたと思われています。しかし、OBや大学関係者などが、そのことを認めようとしないのは言うまでもありません。しかし、どうせ医学部を目指すのなら自治医大ほど有利なところはないでしょう。何せ授業料はただ、卒業のあかつきには、即、都道府県職員として一人前の給料をもらい、大学病院など一流の病院で研修を積ませてもらえます。さらには、何年かごとに研修の機会が与えられます。僻地の医療機関といっても大規模な県立病院だったりしますし、離島の診療所に派遣されると言っても、本土に渡るのに1時間以上かかるところなど極僅かしかありません。そもそも、埼玉県などでは僻地も離島も存在しません。仮に、誰しも認めるような大変な僻地に赴任したとしても、一国一城の主として大将気分で過ごせます。なにしろ他の医学部の医局員と違って上下関係の厳しさが全くありませんので、いつも「あんたが大将」「天下御免の旗本退屈男」ですごせます。



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