(その一) 廬溝橋・謀略の銃弾 廬溝橋

 1937年、国民・軍の期待を集めて近衛文麿内閣が誕生直後、北京の南、廬溝河に架かる橋を舞台に重大な事件が起こる。これがいわゆる廬溝橋事件である。これを契機に日中両軍は本格的衝突へ突入し、日本は大陸を舞台に、昭和20(1945)年8月15日の終戦迄、泥沼の戦争へと引きずり込まれていった。
 当時日本は北京周辺に4000人の駐屯軍をおいていた。日本軍の駐屯は北清事変(義和団の乱)後の天津条約によって列強各国と同様に日本人居留民の保護を目的に認められたものであった。廬溝橋の近くで、夜間演習を行っていた日本軍に正体不明の何者かが弾丸を撃ち込んだ。日本軍は、近くに駐屯していた国民党軍によるものと思いこみ、ついに武力衝突にいたったとされる。ところが、ほぼ同時刻に国民党軍も何者かに銃撃されている。国民党軍は日本軍から銃撃されたものと思いこんだ。互いに相手から銃撃されたと思いこんだ両軍は武力衝突にいたった。しかし、双方の交渉の結果、事件発生後5日目に日中両軍は停戦協定を結んだ。

蒋介石 蒋介石と宋美齢

日本軍・国民党軍双方に銃撃を加えたのは、一体、何者だったのか。

(1)日本軍謀略説
 廬溝橋事件は中国侵略をたくらむ日本陸軍がしくんだ謀略だという説がこれまで一般的な説明であった。これに対して、

○当時の日本軍の総兵力は、国内国外あわせて25万、これに対する中国軍総兵力は、220万で、いくら日本の軍人が中国軍を見くびっていたとしても、兵力の違いが大きすぎはしないか。
○日本軍は実弾を携行せずに演習をしていた。駐屯軍参謀長橋本群・陸軍中将は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲されたため、応戦できず、非常に危険な状況におかれた」と証言している。「丸腰」で演習していた日本軍が、果たして本当に、「武装」している国民党軍と事を構えたいと思ったのか。
○「廬溝橋事件」後に日本は現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に停戦協定を成立させている。このことは日本軍がそれ以上事を荒立てたくはないと考えていたからではないのか。
○その後、日本は膨大な地域を占領したが、領土要求はしていない。占領地は汪兆明政権の領土となり、そこでは治外法権も撤廃されている。
○現地で一旦は解決がはかられた廬溝橋事件の3週間後、さらなる大事件が起こった。中国軍が日本人民間人200名余りを虐殺した「通州事件」とも”通州大虐殺”とも呼ばれる事件である。
 当時、通州には「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子などの日本人居留民、軍人等200余人が住んでいた。日本の守備隊の主力が町を離れたところへ中国軍千数百名が襲撃した。中国軍は日本軍守備隊を全滅させ、住宅に火を放ち、女性には暴行を加えたうえで殺害、子供は両手・両足を切断、男性には首に縄を巻きつけ引き回した。当然、日本の世論は「支那を撃つべし!」と沸騰した。しかし、この時も日本軍は耐えて動かなかった。

などの状況証拠があり、この説は結構疑わしい。

(2)共産党謀略説 若き日の毛沢東

 廬溝橋事件は日本軍と国民党軍を戦わせるための共産軍の謀略であるとの説である。国民党軍に対して劣勢だった共産軍は、「漁夫の利」を得るため、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させようと考えた。そして、共産党の工作員が夜陰に乗じ、廬溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲したというのである。

○共産党軍は国民党軍の猛攻にさらされ壊滅の危機にあった。共産党が生き残るために蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ようと考えるのは不自然なことではない。
○「廬溝橋事件」発生の翌日7月8日、中国共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けている。すこしお膳立てがよすぎはしないか。
○共産軍の兵士向けのパンフレットには、「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」とはっきりと記述されていたという。
○1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。
○コミンテルン(国際共産党)の廬溝橋事件に関する指令には、1)あくまで局地解決を避け、日中の全面衝突に導かねばならない。2)右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩に よって中国の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。とある。

 以上のような事実から、この説は説得力を持つ有力説である。

 しかし、「廬溝橋事件の前に起きた西安事件によって国共合作は既に実現している。だから、もう共産党には謀略を企てる動機は薄かった。」「廬溝橋事件は日華事変の原因ではなく、単なるきっかけにすぎなのであって、根本的な原因は、当時の中国にあふれていた反日感情と、日本陸軍の思い上がりにあるのだ。」という意見がある。筆者にいわせれば、それこそ謀略が有効に機能する客観情勢であり、きっかけを与えることこそ謀略の本務であるのである。



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