嘘とは何か・・・官製史書について

1.保守本流の歴史学
 「国家神道」が確立された明治時代に入って、「『古事記』と『日本書紀』のみが正しい日本の歴史を伝えた最古の文献である」と定められた。自らのルーツをはっきりとさせずに、天皇家の始祖が天から九州地方に降りてきて(天孫降臨)、日本を統一したという世界観が疑いもなく受容されていた。
 戦後になって、津田左右吉の「記・紀神話論」が古代史学に計り知れない大きさの影響を与えた。しかも、津田は大日本帝国の神聖不可侵の神話だった記紀に冷静な分析のメスを入れ、「作り物語」であることを立証した「進歩的」学者としてマルクス主義者に高い評価を受けた。津田の説は「科学的、実証的」であるとされ、すべての日本史学の出発点のごとく称された。しかし実は、
津田は記紀を史実と見なさないことで単一民族論を主張しようとしたのである。つまり、津田説はいわゆる「国体論」のデフォルメにすぎない。そして、「日本先住民族を代表する王として日本列島を連合的に統一した」という、単一国家・単一民族思想こそ戦後の日本歴史学界保守本流の考え方の出発点である。

2.神武天皇
 大和朝廷の成立過程かを考える時、まずまっさきに考えなければならないのは初代天皇神武であり、九州から畿内への東征である。神武天皇の実在については、その実在性を疑うもの即ち
「非実在説」が戦後の歴史学会保守本流の考え方である。記紀の記述は信用できない、少なくとも第10代以前の天皇や神話記事はまったくの創作であるとする、津田左右吉流の考え方である。戦前さんざん、神話を疑う事なき史実とした「皇国史観」を植え付けられてきた反動からか、歴史学会保守本流が説く「神武天皇非実在説」が「進歩的学説」として一般に受け入れられている。近年でも、記紀を信用してはいけないというタブーは根強いようである。
 「神武はいない」という前提は、実は十分に吟味されたものではないならば、その前提から出てく研究もその結論も無意味である。
神武が実在しないというのは、『史記』やホメロスの詩がでたらめだったと主張されたのと同様で実は十分に科学的な根拠をもった話ではない。
 神武天皇に関しては、現在のところ実在を確認する確実な証拠はない。「不存在」の証明は「悪魔の証明」といわれるくらい難しくはあるが、「実在」が立証されなければ不存在とであると決めつけてはならない。
神武天皇が実在したと仮定することにより、古代史の謎がいろいろ矛盾なく解けるのならば、その仮定はきわめて有力な仮説となり得るのである。

 さて、ウルトラ右派の人たちにとっては、実在・非実在を論ずることそのものがまことに不敬の極みなのようである。

神武天皇 神武天皇

 「遠い遠い昔から、日本民族は大八島、豊葦原の瑞穂の国にすんでいました。しかし力の強いものが弱いものを押さえつけて世の中はてんでんばらばらでした。神武天皇が日本民族をまとめ、日本の国を建国してくださらなかったならば、日本民族はいつまでも低い野蛮なくらしからぬけだせなかったでしょう。神武天皇は日本人みんなの大恩のあるお方であり、みんなの御先祖でもあられるお方であります。
 ところが昭和二十年、日本は戦争にやぶれました。占領政策は、日本がふたたび米国や世界の脅威にならぬことを確実にすることでありました。そのためには、世界に立った一つしかない三種の神器の心、大和の心で建国され天皇さまを中心に二千六百有余年つづいている、日本民族のアイデンティティを晦ます教育を日本人にすることでした。そのために、わが国建国の原点のしるしとされた古事記は消されました。科学的史実ではない、実証的根拠がないという理由で。そして神武天皇も消されたままなのです。
 昭和二十七年四月二十八日、わが国はりっぱに独立を回復しました。しかし占領政策にいまだに呪縛された歴史学者たちは、神武天皇の存在は学問的に証明されていない、つまり科学的史実ではない、実証的根拠がない、というようなことをいっています。
 歴史とは上代にさかのぼればさかのぼるほど、神話伝説にゆきつくのは当然のことです。古代の偉大な先祖がのこしてくれた古事記、日本書紀を信じない、そして、小賢しい物質主義的見地から神武天皇の実在は学問的に証明されていないとか、しばらくはこれ以上の断定をひかえたほうがよいなどというのは、神武天皇に対して無礼であり傲慢ではないでしょうか。まして、皇統譜にきちんと初代天皇と記されているお方に対していうことは皇室にも失礼です。」(
出雲井 晶「教科書が教えない神武天皇」扶桑社

3.記紀は全くの「作り話」なのか
 権力が自己を正当化するために、
自分たちに都合よく神話や史実を創作して歴史書を仕立て上げる。これがいつの世においても、権力の座に着く者にとって必要な行為である。また、都合の悪い文献類を火にかけて燃やしてしまうこともよくある。いわゆる「焚書」である。秦の始皇帝やローマ帝国のカエサルによる大々的な焚書が有名である。このように、政治権力の大きな移動があった後、前代の史書の焚書や書き換えが行われるのは普通のことである。
 日本の歴史においても焚書は数多く行われた。
大化改新の際、中大兄皇子と中臣鎌足らが、蘇我入鹿を殺害すると、その父である蝦夷邸を襲い、蘇我氏が保管していた膨大な史書(『天皇記』『国記』含む)を焼き払ってしまった(皇極天皇4年6月)。また、北畠親房の『神皇正統記』には、光仁天皇の後を継いで即位した桓武天皇が、多くの「焚書」を行ったとある
 『天皇記』や『国記』などがもし現在に伝わっていたならば、我々が知っているとは全く異なった古代通史が書かれていることになったであろう。
 このように記紀は、皇室を中心とする権力者達が自らの正統性を確立し持続させるために、自分たちにとって都合の良い歴史を書いた書物である。また戦前のいわゆる皇国史観の史料的な裏付けでもあった。では、記紀は津田のいうように全くの「作り物語」なのであろうか。

4.100%の「嘘」は嘘ではない
 
和辻哲郎は、「記紀の材料となった古い記録は、たとえ官府の製作であったとしても、ただ少数の作者の頭脳からでたものではない。弥生式文化の時代からの古い伝承に加えて、3、4世紀における第2次の国家統一や、5世紀における国民の発達の間に、自然に囲まれてでた古い伝説が、6世紀を通じて無数の人々の想像力により、この時代の集団心に導かれつつ、漸次形を成していったのである。奈良期に至って、最後に編集される際に、特に明白な官選色彩を帯びさせられたとしても、それは、物語の中核をまで変えていない。」という(『新稿 日本古代文化』、岩波書店)。
 
司馬遷の『史記』も、はじめ実在を疑われていた周や殷王朝の実在が後に確認されている。史記がくわしく経過を記した殷王朝の滅亡物語は、現在史実であることが確実とされている。

司馬遷 司馬遷

 西洋においても、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』などに登場するトロヤ戦争は、長年ただの神話と思われてきたのが、シュリーマンの発掘によって史実と確認された話はあまりに有名である。

ホメロス トロイ遺跡
←ホメロス   シュリーマン→
シュリーマン

 もちろん、記紀の中には常識的に考えて明らかに変だという話はある。しかし、作り話と言っても、まったく事実と関係ないものばかりで構成することは不可能であろう。お話の作り手は、実在の人や事件等をもとに、種々の「事実でないこと」を混ぜて「お話」を作っていく。
 記紀が嘘で固めた官許の白書であるならば、「真実」が必ずちりばめられていなければならない。
他人を欺くためには「現実らしさ」が必要であるから、真実の利用が不可欠である。これこそ「嘘」の基本である。根も葉もない情報で他人を騙すことは出来ない。

「巧妙な嘘つきはいつも嘘をつきはしない。九十九パーセントは真実のことを語り、一パーセントだけ嘘をつく。しかもその一パーセントが一番肝要なことである。そういう嘘つきがたくみな嘘つきである。」(梅原猛『神々の流竄』)

5.嘘の中にこそ真実が
 ユダヤのタルムートという聖典に「風呂のお湯を捨てる時に赤子まで流してしまう」というたとえがあるそうである。不必要なものを棄てるときに必要なものまで捨ててしまうことをさす。
 官製の神話は、権力者の強烈な政治的意志によって自己合理化のためにねじ曲げられたり創作されたりしている。しかしそれにもかかわらず「真実の断片」は存在するのである。文献史学・考古学・文化人類学・民俗学などによる学際的研究によって日本神話が歴史として解明される日も近い。



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