白旗に笹竜胆 源氏の白旗

 
氏の赤旗にたいし源氏は白旗、今でも紅白歌合戦とか赤に対して白という組み合わせは多い。しかし、どうして平氏は赤旗なのか、別に青旗や黄旗でもいいのではないか。また、源氏はどうして白旗でなければならないのであろうか。平氏も源氏も皇族から別れたのであるから共通の色を使っても不思議はないのではないのか。

 
と味方の区別のためだとの考えもあろうが、では後世の戦で敵と味方の区別を赤と白とか青と赤とかで表していたかといえば必ずしもそうではない。敵味方の区別だけのためなら、別に赤と白である必然性はない。保元平治の乱でも源氏平家それぞれが敵味方に別れて戦った。また、源平合戦のときにも、平家の家人はたいがい平姓であるが、源氏の家人の中には平氏の流れが多い。北條氏も赤旗を用いていた。これでは敵味方の区別のためにわかりやすく赤と白を用いたとはいえまい。

 
て、源氏の武将の中でもずば抜けて有名なものといえば、やはり八幡太郎義家、新羅三郎義光の兄弟であろう。源義家は父とともに前九年の役を戦い、義光は兄義家と後三年の役を戦った。そこで問題なのが、八幡太郎とか新羅三郎とかという名の由来である。八幡太郎は京都の石清水八幡宮の神前で元服したからであるといい、新羅三郎は新羅大明神の神前で元服式をあげたからであると説明されている。なるほどそこまではわかるのであるが、問題はなぜ八幡大菩薩や新羅大明神の前で元服式をあげたのかということである。京都の神社なら上下の賀茂神社の神前であっても良さそうなものである。何なら奈良まで出向けば格式の高い神社は無数にある。皇族の出であるなら伊勢まで行って皇太神宮の前で元服するとか、尾張まで行き熱田神宮の前で元服してもよいのではないか。八幡大菩薩が応神天皇に擬せられ武神であるからだとの意見もあろうが、武神はほかにもいっぱいある。さらに新羅大明神はそんなに霊験あらたかな武神なのか。やはり、これには他に訳があったと考えた方がよいのではないか。

 
者はまだ目にしていないが、坂口安吾が源氏は新羅系、平氏は百済系であるといっているそうである。卓見だと思う。日本書紀に新羅は白旗の国であるとの記述が見える。また八幡神が新羅系であることは今や常識であるし、新羅大明神は説明の必要もないであろう。百済が赤旗を用いていたかどうか筆者は知らないが、平氏が桓武天皇の末裔であると主張していたのは、桓武天皇の母が百済からの帰化人一族であったことと関連があるのかもしれない。

 
科書記載の系図によれば、源氏も平氏も臣籍に降下してからあっという間に、「武士」になり、さらに宮廷貴族からの侮蔑の対象になっていることになる。平清盛の父平忠盛が初めて昇殿をゆるされたときの貴族の拒否反応も、とても皇族から別れたものに対するものとは思われない厳しさである。これは桓武平氏と清和源氏に特徴的で、他の源氏や平氏は幕末まで最高級公家であった村上源氏など高位高官の公家として続いたものも少なくない。雅な宮廷生活からどのようにして武士になるための訓練をしたのであろうか。筆者は不思議でならない。また、源満仲がその父源経基よりも年上であったとか、源氏が当初清和源氏ではなく陽成源氏を主張していたことなども明らかになってきている。

 
者は、源氏や平氏は教科書記載の系図に近い出自を主張したものの、中央貴族からは全く相手にされないような集団にすぎなかったのではないかと思う。奥州の俘囚長であった安倍氏や清原氏が中央貴族の姓、それも皇別の姓を名乗っていたことを思えば別に不思議でも何でもない。



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