日本経済再生の必要条件

1.貧困化する日本
 今、徐々にではあるが、多くの国民は日本が急速に貧困化しつつあることを感じ始めている。
デフレ、失業、自殺、底なし沼のような不景気が不気味に世間を覆っている。筆者も、退職金はおろか、さんざん保険料を支払わされた挙げ句に年金ももらえないのではないかといった不安におののきながら、身過ぎ世過ぎに明け暮れる毎日である。この低迷した日本経済の建て直し策について語れるほどの経済的知識を筆者は持ち合わせてはいない。しかし、少なくとも、人々の生活が不安で一杯にも拘わらず経済だけが成長を続けるとか、将来に夢も希望も抱けないのに商品が売れまくるとか、国民が国家や社会を信用してないのに景気は絶好調とかいったことだけはないと思うのである。そこで、経済再生の必要条件について筆者なりの考えを述べてみたい。

2.国家作用の基本を守るべし
 近代立憲主義の基本的な思想は「自由」である。「自由」のなかには政治的な自由であるとか、言論の自由であるとかいった精神活動の自由はもとより、経済的な自由も当然に含まれている。それまで人々の自由を阻害してきた最大にして唯一の権力である国家権力を抑制して人々の自由を護ることが近代立憲主義の理念であったのである。
「夜警国家」と揶揄された、防衛と治安の維持以外何もしてくれない「小さな政府」が生まれ、その結果、アダム・スミスの言ったとおり、経済的には資本主義の飛躍的発展がもたらされた。しかし、資本主義発展の弊害としての社会問題が生じ「社会権」といった国家の介入を求める権利などが創設され、ケインズの経済理論による「公共事業」が行われるようになって現在の「行政国家」となった。しかし、あくまで国家の基本作用は国民の生命、身体、財産を不当な侵害から護ることである。福祉政策はしても、外敵から国民の命を守れないとか、公共事業には熱心だが、人殺しや盗人を捕まえてくれない、とかいったことでは国家として失格である。国家としての最低限の務めである、防衛、治安維持と防疫の仕事だけはやってもらわなければもはや国とはいえないのではないか。悪いことをしたり、嘘をついたりすれば必ず罰せられる社会においてのみ倫理と道徳が行われる。人々が枕を高くして眠れない、「人を見たら泥棒と思え」との諺どおりの世の中で、消費者心理が冷え込まないわけがない。経済再生の前提は国家の基本作用の遵守であると断言しなければならない。

3.新たな文化を生み出すべし
 次に重要なことは何か。経済が成長するとは「生産」が増えることである。では、何が生産なのか。価値ある物やサービスを生み出すことであろう。つまり人々が「価値がある」と感じる対象を生み出すことが生産なのである。価値があると感じる対象は時代と地域によって大いに変化する。つまり価値観によってまったく違ってくるのである。よく言われるように現在では価値観が多様化している。更に価値観の多様化の原因は常に新たな価値観が生じているためである。新たな価値観は新たな文化を生み出し、新たな文化は新たな価値観を生じる。この点に着目しなければ「生産」はできない。多様化した価値観を満足させる対象も多様化しなければならないからである。さもなければ経済の維持も発展もないはずである。新たな文化の創造には新たな科学技術の地平を開かなければならない。過去における、いわゆる「パラダイム」の転換のためには科学技術の基本的な大変化があったと思う。すなわち「農業」の発明、「産業革命」などである。ちょっと前には、それになぞらえて「IT革命」による新たなパラダイムの創出が言われていたが、筆者にはすこし疑問である。

4.教育偏重、科学技術偏重の国家になるべし
 
新たな科学技術の地平を開くためには、それを支える人材養成力、人材発見力が不可欠である。筆者は、教育と研究の充実なくしてそれを達成することは絶対に不可能であると断言する。しかし、この分野における我が国の惨状は目を覆うばかりである。昨年、ノーベル賞のダブル受賞が決まったとき、どこかの首相が「日本も捨てたものではない」とのたまわっておられたが、全くもってアホの一言である。残念ながら、日本は完全に「捨てたもの」である。昨年の受賞者のみならず、日本人のノーベル賞受賞はほとんど受賞者個人の天才と努力によっているのではないか。あるいは日本ではまともな研究の場と資金がないために、外国に行って研究した結果の受賞ではなかったのか。明治以来の法科万能主義によって日本の科学者なかんずく自然科学者達に対する冷遇には全く驚くべきものがあるといわなければならない。更に、「ゆとり教育」なる愚民化政策の眼目が理数科系能力の引き下げにあるのだから日本の科学技術は将来壊滅すること請け合いである。こんなことでは新たなパラダイムの創出など不可能である。今こそ日本は、教育偏重、科学技術偏重の国家になるべきなのである。

5.競争を奨励すべし
 
競争のない社会は自由のない社会である。逆に自由のない社会には競争は存在しない。存在するのは特権階級とその奴隷だけである。奴隷労働が実は最も生産性の低い労働であることも今や常識である。これらのことは歴史的に明らかなことである。また、競争のない社会に進歩はないことも歴史が証明している。
 重要なのは、自由な競争を守ることである。自由な競争をうながすための重要な鍵は、才能と努力を否定する結果の「平等」や観念的な機会の平等ではなく、環境の平等とも言うべきスタートラインの平等を確保することにある。そして、才能と努力で競争に勝ったものを賞賛する社会環境も重要である。
努力が報われることが約束された社会において初めて人々は希望を持って働けるのである。人々が希望を持って働いてこその「生産」であり「消費」である。

6.有事対応能力の向上、犯罪取り締まり強化と厳罰化、「ゆとり教育」即時撤廃こそ急務
 以上をまとめると、日本経済再生の必要条件とは、まず国民の安全・安心を守ること、つまり
治安の維持と防衛に力を入れることである。有事に対応できる防衛力の充実と危機管理態勢の整備犯罪取り締まりの強化と犯罪発生防止のための厳罰化が不可欠である。つぎに、教育の充実である。そのためには、能力あるものがその能力を自由に発揮できる機会を与え環境を整えることが重要である。「ゆとり教育」など論外中の論外であり即時撤廃すべきことは言うまでもない。最後に才能と努力が認められる自由な競争社会をつくることである。

資料:
本サイトの読者である「右の橘」さんからの情報提供

学校外での学習時間
全国の中高生1800人対象(NHK放送文化研究所世論調査より)
中学生 高校生
ほとんど勉強しない  (’82) 10% 25%
              (’02) 17% 41%
1時間程度        (’82) 25% 23%
              (’02) 27% 28%
2時間程度        (’82) 37% 25%
              (’02) 22% 17%
3時間〜5時間以上  (’82) 25% 25%
              (’02) 12% 9%

82年と比較して、勉強時間が減少したのは、勉強する要領が良くなったからなのか・・・。(ということはないように思われ・・)
高校の学習指導要領の改訂で、選択の幅が広がれば、生徒の学ぶ意欲は高まるのか、学力の向上はできるのか。。
ちなみにアメリカでは、子供の学力が低下したのは、学校教育を子供の好きなカフェテリア方式に偏りすぎたためだとされ、当事のレーガン大統領が、詰め込み教育に方針を転換し、子供の学力アップをはかった。(「右の橘」さん)



このボタンを押すとアドレスだけが記された白紙メールが私のところに届きます。


目次に戻る

表紙に戻る