行政と専門職

 「行政とは何か」と言うことに関して、たいがいの法律学の事典には、「行政とは国家機能のうち、立法・司法の二つの機能を除いた残余の部分をさす」というネガティブな定義が載っている。要するに行政というものの全体像を積極的な定義、則ち「行政とは・・・・・するものである。」とは、規定しづらいらしいのである。それくらい内容が複雑多岐にわたっているということであろうか。
 さて、行政に従事している公務員なかによく「行政的な・・・」と言う言葉を使うものがある。「・・・」にはたとえば手法とか考え方、判断とかやり方などと言った言葉が当てはまるのだが、その連中の言う「行政的」という言葉の意味を考えてみると、要するに「うまく誤魔化す」「本音を言わず建前を押し通す」「ウラに手を回す」「十分に根回しする」「議論をさけ搦め手から攻める」「違法にかからない範囲で相手をだます」「あとで責められても言い逃れできるような言葉を選ぶ」等々の意味のようである。
 ここに例示したのは簡単に言うと「世渡り、渡世術、処世術」である。彼らが自慢げに言う「行政の専門職として長年鍛えた技術」とはこんなものである。処世術には「専門的知識」やら「高度な技術」「熟練や専門的経験」など不要であるし、学問の有無など全く無関係である。要するに彼らの言う「行政」とはその程度であって、学歴など全く無関係であり、そもそも大学教育を受ける必要など微塵もない。はたしてそれは本当なのか。もしそれが事実なら「国家公務員T種(上級職)」など不要になってしまう。
 明治以来、問題を抱えながらも急速な近代化を図り世界の先進国の列に伍してこられたのは近代的官吏登用制度のおかげであった。近代国家になるためには「法律の整備」「適切な経済政策」が不可欠であり、「科学技術」「工業技術」などの発展向上が必要である。そのため「法学」「経済学」「工学」「農学」「理学」「医学」等々の知識を持った行政管理が国家の運営に当たる必要があった。「学問は学者に任せて行政管理は素人でもいいじゃないか」という者がいるが、そうはいかない。国家の実質的運営者に専門知識か欠如していては諸学の成果を適切に評価し選択し適切に施策に応用することなどできはしない。要するに国家の実質的運営者である官吏は単なる世渡りや大衆操作術などが出来るだけでは近代国家を切り盛りすることはできないのである。
 以上「行政」が決して処世術ではないことを述べてきたが。少なくとも自ら「専門職である行政マン」を以て自認する者が「行政とは所詮世渡りである」などと言っていては、則ち「行政とは誰でもやれる仕事である。」と言うことになってしまい、自己否定に結びいてしまう。筆者は、専門的技術と知識を持つ行政マン諸君の自覚を促したいと思う。



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