「貴族院」復活間近
今や何の世界でも世襲ばやりであるが、政治の世界ではとみにその傾向が著しい。親が病気でなくなった後、子が立候補すると「弔い合戦」などと訳の分からないことをいって選挙に臨む。現在の実績だと大概の場合「弔い合戦」に勝利する。「候補者の資質ではなく、親が議員だったから子供に投票するというのはいかがなものか。」というと、「二世議員が必ずしも資質が低いわけではないだろう。一定の資質をクリアしていなければ当選はしないだろう。」とか言うやつがおる。
問題は二世議員が議員に必要な資質を持っているかどうかよりも、親が政治家だったかどうかの方が「誰に投票するかの判断プロセス」の上で決定的であるというところにある。化学反応において、その速度を決定する反応段階を律速段階というが、資質と、血統のどちらが「律速段階」かというのが問題である。
たまたま、二世議員にそこそこの人物がいると「二世議員の能力が低いとはけしからん」となる。しかし、今更言うまでもなく二世議員よりも資質の高い人は五万といるわけで、問題なのは、実際の投票行動の上で、政治家としての資質の有無はほとんど意味を持っていないことである。
これからもどんどん二世三世議員がでてくるであろう。そのうち貴族院も復活して総理大臣が太政大臣になる日も遠くないかもしれない。まあそれでも、今の、土建屋やごろつきが大手を振って利権をあさりまくる「衆愚政治」よりはましかもしれない。